災害は他人事ではない!!

地震列島と呼ばれる日本に暮らす、私たちの過去から未来

1995年に起こった阪神淡路大震災

1995年1月17日、早朝。何の変哲も無い静かな夜明け前。
当時まだ学生だった私は、大阪の自宅で徹夜でレポートを書き上げ、やっとベットに入ったところだった。
いつものように朝が来て、いつもと同じ一日が始まると、疑いもせずうつらうつらとし始めたその時。
「それ」は突然やってきた。

午前5時46分。阪神淡路大震災発生。
大きな揺れに、飛び起きた。飛び起きたけれど、動くことは出来なかった。生まれて初めて経験する大きな揺れ。そしてその継続時間もまた、かつて経験したことのない長さだった。

やっと揺れが収まった頃、恐る恐るベッドから這い出し情報を得るべくテレビの電源を入れた。程なくして地震の速報が流れたが、その内容は予想に反して穏やかなもので、「強い地震が発生したが、それほど大きな被害はなかった。」というものだった。ホッとしつつも、今まで経験したことのなかった大きな地震の直後だけに、動揺は治まらない。眠気は完全に吹っ飛んで、ただテレビの前に座り込んでいた。
けれど、このときの私はまだ知らなかった。
自宅のある大阪からそう遠くない兵庫県が、その地震で大変な悲劇の舞台になってしまっていたことを。

人的被害・家屋被害・火災被害
(2002年末 消防庁調べ)

その時、ライフラインは

その時、ライフラインは時間が経つにつれ、徐々に正確な情報が入ってくるようになり、被災地の被害状況が続々とニュースやラジオから流れ始めた。私はそれらに注意を払いつつ、神戸在住の友人となんとか連絡を取りその安否を確認しようと試みた。しかし電話は一向に繋がらない。テレビから流れる映像と内容のあまりの凄絶さに、不安や焦りがどうしようもなく募った。

そんな状態が約一日続き、友人が家族共々無事だった事をようやく確認できたのは日付が18日に変わってからだった。心の底からホッとしたあの時の気持ちを、今でも忘れる事はない。

現在は、災害救助法が適用される規模の災害が発生し、かつ、広域停電が発生している場合、NTTが被害の状況を判断し公衆電話を無料化するなどの措置を実施したり、簡単な方法で伝言の録音や再生を行うことが出来る「災害用伝言ダイヤル」といった非常時に本当に役立つシステムも設置されている。

けれど、本当に不安だったのは、やはり実際に被災してしまわれた被災地の方々だろう。阪神淡路大震災では260万軒の灯りが奪われた。瓦礫の廃墟と化した街は、ガス臭が漂い、水道も止まり、消防隊のホースさえもが干上がったという。地震が襲ってくる直前までは、物も道具も情報も十分に有り、火も水もいつでも好きなときに好きなだけ使える暮らしを当たり前にしていたというのに、一転して、その全てがままならない状況に陥ったとき、人の心理はどういう状態になるのだろう?不安、恐怖、苛立ち・・・。
もしもそれを、少しでも和らげてくれる物があるとしたら「日々の備え」こそ、その最たるもののひとつではないだろうか。

災害のない地域?

何よりも恐ろしいのは、その無防備さ

先日、友人が婚約者のご両親に挨拶に行くと福岡に出かけた。
そこで友人が婚約者の実家に招きいれられて数分も経たないうちに、強い地震が起こったという。
福岡県西方沖地震だった。九州北部で震度5以上の地震が起きるのは、約100年前に近代的地震観測が整備されて以来初めての事だというから、もの凄い確率で遭遇した災害だ。
幸い、友人にもその婚約者にも、そして婚約者のご両親にも怪我はなく、家屋にも目立った被害はなかった。それでもそのときの事は今になっても「どんなに珍しいエピソードでも、笑い話には出来ない」と友人は語る。
婚約者のご両親に至っては、生まれも育ちもその土地で、それまで経験した事のない大地震に、当然のことながら大変なショックを受けられたらしい。
地震からしばらくは夜眠れなかったり、時々揺れてもいない大地が揺れているような錯覚を覚えたりしたそうだ。
災害のない地域、というものはきっとないのだろう。地震は、いつ、どこで起こるかわからない。
100%の確率でそれから逃れる補償を受けた人なんて、どこにもいない。
だからこそ、不運にも災害に遭遇した時、被害を最小限にとどめる防災対策は、誰にとっても必要なものなのだ。過去に起きた災害の中で、数多の犠牲の上に与えられた教訓と真剣に向き合い、それを活かさなくてはならない。

最低限用意しておきたい防災用品とその使い方