あなたはご存知でしょうか。世界中で起こる大地震の約2割が、日本で発生しているということを。もし日本の面積が世界の総陸地面積の2割を占めているなら、大地震の2割が日本で起こっても、それは不思議なことではないことなのかもしれません。しかし、日本の面積は世界の総陸地面積のたった0.25%です。この0.25%の土地に、世界の大地震の20%が集中して起こっているのですから、日本がいかに地震の多い国か、よくわかります。
実際日本では、直近のほんの二十数年の間に、阪神淡路大震災や新潟県中越沖地震、東日本大震災、熊本地震といった大災害が次々と起こりました。そして今後もまた、首都直下型地震、東海地震、南海地震などが30年以内の間に高確率で起こると予想されています。
人間には、災害を止める力はありません。けれど、災害に遭った時にその被害を最小限に食い止めるための準備をすることはできます。災害で命を失うか、生き延びるか。災害で会社が潰れてしまうか、継続できるか。それらはすべて事前の防災対策に掛かっていると言っても過言ではありません。
日ごろの防災対策、訓練が命運を分ける
事前の防災対策が不十分だったために大変な惨事になってしまった例として、東日本大震災での石巻市立大川小学校の事例があります。大川小の子供たちは、津波が到達するまで50分もの間、校庭に待機させられていました。子供たちの「ここに居たら死んじゃうよ」「裏山に逃げよう」という悲痛な声をよそに、大人たちは避難場所をどこにするかを延々と議論していたそうです。
大川小の危機管理マニュアルでは、そもそも津波が発生しても大川小までは届かないと想定されていました。そして、津波発生時の避難先は校庭と定められ、二次避難先に関しては「近隣の空き地・公園等」と記載があるのみで具体的な場所が想定されていなかったのです。
津波警報が鳴り響き、市の広報車が大津波の襲来を告げ、恐怖のあまり泣き叫んだり吐いてしまったりする子もいるような状況で、それでも大川小の先生たちは次の行動を決定することができませんでした。そして、そうしている間に避難が遅れ、在校していた児童78名中74名、教職員13名中10名が津波に飲まれて亡くなってしまったのです。
現場にいた先生方も、子供たちを死なせたくて死なせたわけではないでしょう。自分たちだって死にたくなんかなかったはずです。けれど、命を守るための行動を起こすことができなかった……。それは、事前に定められた明確な行動基準がなかったからです。
イギリスの心理学者ジョン・リーチ博士よると、大きな災害に直面した時、即座に落ち着いて適切な行動がとれる人は全体の10~15%しかいないそうです。あとは、パニックを起こしてしまう人が15%程度、残りの70%の人は、経験したことのない事象に混乱してしまい、茫然自失になってしまうのだといいます。つまり、突発的なアクシデントに対して、映画のヒーローのように機転の利いた行動がとれる人は、現実には滅多にいないということです。
多くの犠牲を出してしまった大川小とは対照的に、同じ石巻市にある門脇小学校では、平素から自主避難の教育と訓練が徹底されていたことが奏功し、地震発生時に在校していた児童全員が無事でした。また岩手県の釜石でも「津波てんごでんご」の教えを受けて日頃から徹底的に訓練されていた市内の小中学生の98.8%が無事でした。非常時に適切な行動を取るためには、平時にしっかりとした行動基準を決め、訓練を積むことが大切なのです。
自助・共助の重要性
災害時、被災した人々を助ける力は、自助・共助・公助の3種類にわかれます。「自助」とは、自力で助かる力のこと。「共助」とは、地域間や企業間で助け合う力のこと。そして「公助」とは、消防や自衛隊などの公的な助けのことです。災害が起きた時は、まずは自助、共助の力で生き延びることが重要になってきます。平時であれば、怪我をすれば救急車が、火災が起これば消防車がすぐに駆けつけてくれます。しかし、非常事態があらゆるところで一斉に起こる災害時にはそうはいきません。
こんなデータがあります。阪神淡路大震災の時、生き埋めになったり閉じ込められたりした人のうち、公助によって救出された人は全体のわずか2.5%、残りはすべて自力や隣人、友人の助けによって救出されているのです。
また、災害時は支援物資が被災者の元に届くまでに数日を要します。その間、被災者は自力で生き延びなくてはなりません。
いざという時、近隣の人々と助け合うことができるのは日頃の近所づきあいがあればこそですし、支援の手が届くまで自力で生き延びるためには備蓄などの準備が欠かせません。自助や共助の力がしっかりと発揮されるには、事前の備えが重要なのです。
企業においては、事業継続計画(BCP)も自助努力のひとつです。会社が災害に遭った時、どのようにして事業を守り、継続していくのかをしっかりと考え、準備・訓練しておくことは、今や欠かすことのできない要素のひとつになってきています。
もし今、あなたの会社でインフルエンザの集団感染が起こったら?もし、火災で社屋が消失してしまったら?メインサーバーのデータが壊れてしまったら?大地震が起こったら?あなたの会社が受けるダメージはどの程度で、そこからどのようにして事業を継続していきますか?
企業の防災対策マニュアルを更に一歩進めた事業継続計画(BCP)の必要性
事業継続計画(BCP)とは
東日本大震災では、貴重な人材や設備、重要なデータなどを失って廃業に追い込まれる企業が多くありました。また、事業を復旧させるまでに時間が掛かり過ぎたため顧客が離れ、事業縮小や廃業を余儀なくされた企業も多かったといいます。事業継続計画(BCP)とは、そうした不測の事態に備えて、人命保護や資産の保全はもちろんのこと、事業をいち早く復旧させるために予め具体的な手順を定めておき、それが実行できる状態にしておくという、いわば防災対策を一歩先に進めた考え方です。
ちなみにBCPというのはBusiness Continuity Planの略。現在のBCPの原型となっているのは、2002年にイギリスで初めて発行された事業継続マネジメントGPG2002(グッドプラクティスガイドライン2002)です。アメリカでは2004年にNFPA1600(災害・緊急時の管理・事業継続プラグラム)が発行され、日本では2005年3月に国内初となる事業継続に関するガイドライン「企業における情報セキュリティガバナンスのあり方に関する研究会報告書」が発表されました。
事業継続計画(BCP)に対する認識が広まったきっかけは、米国の火災事故
事業継続計画(BCP)の重要性を世に広く知らしめた事件として、1988年5月、アメリカのロサンゼルスで起こったファーストインターステートビル火災があります。4時間にわたって燃え続けたその火災は、出火元である12階から16階までのすべてのフロアーを焼き尽くし、ビルの倒壊さえ懸念されるほど大規模なものでした。しかし、このビルに入居していたファーストインターステート銀行は、なんと火災発生からたったの30分で自社のリーディング機能をバックアップセンターに移すことに成功。翌日から業務を再開させ、世界中を驚かせました。結果として、この対応力が評価され、ファーストインターステート銀行は預金者を増やすことになったのです。
日本国内の事業継続計画(BCP)成功実例
日本でも、きちんとしたBCPの策定により災害から事業を早期復旧させた例がいくつかあります。例えば大手半導体メーカーであるルネサスエレクトロニクス株式会社には、東日本大震災で茨城県の工場が被災した折、3カ月もの間操業が停止したという苦い経験があります。しかし、その教訓からBCPの見直しを行い、熊本地震では地震発生からわずか1ヶ月で生産水準を震災発生前の状態に復旧させることに成功しました。また、復旧までの1ヶ月間に、8回に渡って復旧時期についてのプレスリリースを行っています。これは、取引先がルネサスの復旧を待つか、それとも別の仕入れ先を探すかの判断の一助としてもらうためでした。
三菱電機もまた、熊本県内で生産拠点が2か所被災しましたが、BCPに従って県外の委託生産先の工場で増産し、操業停止分を補いました。
ホンダも東日本大震災後にBCPの見直しを行い、国内唯一の二輪車製造拠点である熊本製作所の耐震工事を実施しました。水や保存食を備蓄し、定期的な避難訓練も実施していたそうです。
こうした事例を見ると、BCPをしっかりと策定している企業と、そうでない企業では、いざ不測の事態が起きた時のダメージがかなり違うことがわかります。
次頁では、具体的な事業継続計画(BCP)の策定方法について説明します。